NPB(日本プロ野球)時代の成績で見る黒田博樹の凄さ

メジャーで79勝を上げて、通算の防御率が3.45という成績を残し、日本に復帰した黒田博樹です。

黒田博樹はメジャーでは、1試合だけリリーフ登板をしているのですが、それを除いた先発投手としての通算防御率は3.43、アメリカでは投手としての実力を示す指標として重視されているFIPでは3.61という数字が残っています。

【用語】

  • FIP(Field independence Pitching):味方チームの守備力の影響を除外して、投手の実力を測るための指標で、与四死球、本塁打、奪三振、投球イニングを元に算出する擬似防御率。防御率よりもFIPが低ければ味方の守備によって自責点が増えていると考えられ、FIPよりも防御率が低ければ、味方の守備によって自責点が減っていると、一般的に考えられている。

MLBのデータ集計サイトのFAN GRAPHSによると、この防御率3.43は、黒田博樹が海を渡った2008年から2014年の7年間において、メジャーの両リーグの投手の中で14位にランクされ、FIP3.61は両リーグ20位となっています。

この7年間通算の防御率とFIPで黒田博樹を上回る数字を残しているのは、クリフ・リー、ジャスティン・バーランダー、フェリックス・フェルナンデス、ロイ・ハラデイなどサイヤング賞を獲得したメジャーを代表する投手ばかりです。

この事実からわかるのは、直近の7年間において黒田博樹は紛れも無くメジャーでトップクラスのクオリティを維持し続けていた先発投手だったということです。

2014年の成績も評価されていたのですが、この7年間にわたる圧倒的な安定感があったからこそ、年齢にはシビアなメジャーの球団が2015年に41歳となる黒田博樹に1800万ドル(約21億円)という破格の契約を提示しています。

メジャーでもトップクラスの成績を残してきた黒田博樹ですが、当然のことながら日本プロ野球でも傑出した成績を残しています。

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日本プロ野球でも圧倒的な安定感を見せていた黒田博樹

日本プロ野球での11年間の通算成績は防御率3.69/103勝89敗/WHIP1.27という成績で、この数字を見るだけでは、黒田博樹の凄さはわかりません。

黒田博樹の日本プロ野球での年度別成績は以下の表のとおりとなっています。

Hiroki Kuroda NPB Stats 2014

日本での最多勝利数は15勝で、それ以外では13勝が2度、12勝が2度、10勝が1度で、二桁勝利は6シーズンにとどまります。

しかし、この11年間の広島カープは、1997年に3位となった後は、最下位が1回、5位が8回、4位が1回とチームの力そのものが弱い低迷期でした。それでも通算成績で勝ち越しているのは、黒田博樹の実力が傑出していたからに他なりません。

プロ入り5年目から本格的にブレイクすることになるのですが、それまではお世辞にも良い成績ではありません。

プロ入り後3年間は防御率4.40、6.60、6.78と推移していて、この数字だけを見れば、チームから途中で見放されてもおかしくありませんし、本人も心折れて頑張れなくなっても不思議ではありません。特に3年目の1999年は21試合中16試合に先発しながら防御率6.78はかなりひどい数字で、FIPも5.95と壊滅的だったので、なおさらです。

それでも広島があきらめることなく育成し、チャンスを与え続けたことで、黒田博樹はセ・リーグを代表する投手となっていきました。その低迷した時期がありながらも、育て一人前にしてくれた恩を黒田博樹は忘れられなかったことが今回の復帰の決断につながったことは間違いないのではないかと思います。

メジャーで活躍し、巨額のオファーを手にすることができるようになったのも、「広島カープに育ててもらったからこそ」であることを忘れることなく、目の前の大金をテーブルにおいてくるということは、口で言うのは簡単ですが、実際に行動することは極めて難しく、その人間性には魅力を感じざるをえません。

3年目までの成績を見れば決して有望株とは言えないような数字でしたが、25歳となる4年目に防御率4.31/9勝6敗/WHIP1.44と上昇の兆しを見せ、26歳となるシーズンに防御率3.03/12勝8敗/WHIP1.16の成績を残して、一気に投手として本格化することになりました。

その上昇気流に乗り始めた2000年はFIP4.54と数字そのものは良くはありませんが、平均よりも8%劣る(FIP+ 92)程度まで上昇し、5年目のシーズンにはFIPが3.31と一気に平均を23%上回るレベルに上昇しました。

【用語】

  • FIP+:日本プロ野球全体の平均FIPよりもどれだけ傑出しているかを示す。平均を100で、100以上が平均以上となり、100より小さくなると平均以下となる。FIP+が120であれば平均よりも20%傑出していることになる。本来は球場ごとの特性に拠る補正をかけますが、ここでは除外しています。

その後のFIPを見ると、際立った「安定感」を発揮しています。2001年から2006年まで勝敗や防御率は運に左右されるためバラつきがあるものの、実力を示すFIPは6年連続で平均を20%以上も上回り続けました。

リーグを代表するような投手は平均を30%以上を数回記録することが多いので、黒田博樹のこの数字は、素晴らしくはあるものの、リーグを代表するレベルの投手が持つような圧倒的なものはないように見えます。

しかし、その時の黒田博樹の置かれていた状況を考えれば、この数字の凄さがわかります。

黒田が才能を本格的に開花させた2000年以降は非常に本塁打が出やすい時代でした。1995年から2014年までの20年間の日本プロ野球の総本塁打数に推移は以下の表のとおりとなっています。

NPB Home Run Stats 1995-2014

2001年から2004年の4年間は本塁打が多く出ていた時期で、特に2004年にはセ・リーグだけで1074本の本塁打が出ています。2014年のセ・パ両リーグの本塁打数が1361本であることを考えれば、かなり本塁打が多かったことがわかるのではないでしょうか。

さらに、黒田博樹が広島カープに在籍していた当時の本拠地である広島市民球場は非常に狭く、レフトとライトの両翼は94.1メートル、センターでも115.8メートルしかなく、極端に打者が有利な球場でした。

つまり、黒田博樹は日本プロ野球の近年20年で一番本塁打が出ていた時期に、その当時で一番本塁打が出やすいと考えられる球場を本拠地としながら投球を続けていました。

FIPは投手の実力を測るために、投手がコントロールできると考えられている本塁打、奪三振、与四死球の数字を使って算出していますので、被本塁打が多くなるとFIPも悪くなります。

そのためFIPが投手の実力を示す指標ではあるものの、その投手の本拠地が本塁打が出やすいか、出やすくないかは少なからぬ影響を与えます。

その点を考慮すると黒田博樹は非常に不利な環境下で投球を続けていたことは間違いないのですが、それでもFIPはNPB平均を20%以上上回っていたため、実際にはさらに実力的に傑出していたと考えるべきです。

ことによると、2001年から2006年の期間は、球界を代表するような投手が残すような、FIPの平均を30%から40%も上回るようなパフォーマンスを安定して発揮していた可能性もあります。

このレベルの数字を10年のキャリアの間に3回か4回も記録すれば、かなりスゴイことなのですが、黒田博樹は6年の長期間にわたって継続しています。

そしてその6年間の間には、2002年のようにFIPは2.92とかなり良い投球をしながらも、味方の守備に足を引っ張られた結果、防御率が3.67で、勝敗が10勝10敗となってしまったり、FIPは3.39と平均よりも34%上回りながらも、同様に味方に足を引っ張られて防御率が4.65となった2004年のようなシーズンもありましたが、それでも心折れることなく、高いレベルで安定した数字を残し続けています。

黒田博樹が運不運に左右されることなく、やるべきことに集中して、最大限の力を発揮し続けるという、メジャーでも際立っていた精神力は、日本プロ野球時代でもFIPという指標においては、顕著に現れています。

また、負け越しを続けていたチーム状況にあっても、2000年以降の8年間で借金を作ったのは2004年だけと、エースとして働き続けていたことは、黒田博樹がアメリカに渡ってからの安定感、逆境での強さ、正念場での強さにつながっていたように思えてなりません。

日本では最多勝と最優秀防御率のタイトルをそれぞれ獲得したことがありますが、先述のようにカープが低迷していた時期と重なっていたため、優勝を経験していません。

若い選手が育ち始め、準備が整いつつあったカープに、これ以上ない精神的な柱が帰ってくることになりましたので、優勝に向けて千載一遇の時を迎えています。今年の黒田博樹と広島カープからは目が離せなくなりそうです。