FAで巨人に移籍した15人の選手たち(第6回) 工藤公康編

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優勝請負人・工藤公康は巨人の日本一にも貢献

FAで巨人に移籍した15人の選手の移籍前の成績と移籍後の成績の比較、ならびにその後の動向などについて書いているシリーズの第6回です。

第6回目は1999年オフにFA宣言して、2000年から巨人でプレーした野球界きっての理論派であり、優勝請負人とも言われた工藤公康です。

ダイエーの監督に王貞治氏が就任し、指揮を執ることになった1995年からダイエーでプレーし、弱小球団だったダイエーで城島を育てるなどして、日本一に導く立役者となった工藤でした。

西武の黄金時代のエースでありダイエー日本一の立役者に

工藤公康の年度別と球団別の成績は以下のとおりとなっています。工藤は通算で3セーブ、10ホールドを記録していますが、今回の成績からは割愛しています。

工藤公康-生涯年度別成績

西武時代の1987年には26試合の先発のうち>23試合で完投、そして223回2/3を投げるなど、今では考えられないような数字を残しています。

ダイエーでは西武時代に世話になった根本陸夫氏が、ダイエーで2年間監督を務めた後、球団社長に就任し、王貞治氏が監督に招聘されました。その根本陸夫氏に誘われる形で、1度目のFA移籍を果たします。

弱小であったダイエーへの移籍したため、96年には大きく負け越すことも有りましたが、チームの精神的な柱として若手の育成に一役を買います。そして1999年には11勝ながらも、>防御率2.38でWHIPは1.00を切る0.90と素晴らしい成績を残します。さらにその年の日本シリーズの対中日戦では敵将の星野仙一を唸らせる圧巻の投球を見せ、ダイエーを日本一に導きました。

巨人優勝と若手育成に貢献もFAの補償で横浜へ移籍

2000年にFAで長嶋茂雄監督率いる巨人にFA移籍し、その1年目に12勝を上げて、長嶋監督の2度目の日本一に貢献します。工藤はダイエーでの日本一に続き、2年連続日本一となり、>優勝請負人という肩書を確固としたものにしました。

その後の2年間は二桁を勝つことができずにいましたが、2002年には9勝ながらも170イニング以上を投げ、防御率2.91でWHIP1.07という成績を残して、ローテーション投手として、>再び日本一に貢献します。

そして41歳となる2004年に10勝、42歳の2005年に11勝をあげて、堀内監督のもとで低迷する巨人で、その存在感を発揮しました。しかし、2006年に成績を落とした、そのオフに横浜からFA移籍してきた門倉健の人的補償として、横浜に移籍することとなってしまいました。

しかも、そのオフには巨人の山口鉄也らを連れてトレーニングをするなどして、巨人の若手の面倒をみるなどしていましたが、人的補償のプロテクトから外れて、移籍することとなった工藤公康でした。

高齢であったとはいえ、もし工藤が巨人の生え抜きの選手であれば、>優勝への貢献と若手の育成への貢献を考えて、プロテクトされていたと思われます。どうしても生え抜きの選手が優先されるのが巨人の実情だと言わざるを得ない、人的補償での横浜移籍でした。

このように三顧の礼で迎えられて、優勝に貢献しながらも、高い年齢、故障、不調などがあれば、巨人を去ることになるFA選手です。巨人にFA移籍して、巨人でキレイに現役生活を終えたのは川口和久くらいです。NPBの在籍として巨人が最後になっているのは、他に野口茂樹前田幸長がいますが、野口は現役をあきらめれず、合同トライアウト、メジャー挑戦、独立リーグ、最後は再び合同トライアウトも受験しています。また、前田幸長はメジャー挑戦のため自由契約をもとめて退団しています。

巨人としては、獲得した選手が日本一に貢献してくれたので、補強に成功したと言えますし、移籍した選手も>段違いの注目度と称賛に加え、>大幅な年俸アップを手にすることができます。その一方で、成績を落とした後に厳しさが待っているケースが多くあります。

巨人にFAで移籍するということは、いろいろな意味での厳しさと直面することになり、ハイリスク・ハイリターンな選択肢です。現在、FAで巨人に在籍している選手、そしてFAで入団してくる選手たちは、どのような道を歩んでいくことになるのでしょうか。

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