FAで巨人に移籍した15人の選手たち(第7回) 江藤智編

FAで巨人に移籍した15人の選手の移籍前の成績と移籍後の成績の比較、ならびにその後の動向などについて書いているシリーズの第7回です。

第7回目は1999年オフにFA宣言して、工藤公康と同じく2000年から巨人でプレーした、江藤智です。

広島東洋カープの主砲として野村謙二郎、前田智徳、金本知憲、緒方孝市らが顔を並べる打線の4番として活躍した江藤智です。

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江藤智は移籍後2年間は巨人でも活躍し、日本一に貢献

江藤智の年度別打撃成績と球団別打撃成績は以下のとおりとなっています。

江藤智の年度別打撃成績と球団別打撃成績

江藤智も長嶋茂雄監督時の巨人への移籍となります。当時、長嶋監督は33番をつけていましたが、その>33番を江藤智に譲り、自ら永久欠番3番を背負ったことでも話題を呼びました。

その期待に応えるように2000年と2001年は、>2年連続で30本塁打を打ち、>ベストナインにも輝くなどして、>2000年の長嶋茂雄監督の2度目の日本一に工藤とともに大きく貢献します。

しかし、2002年以降は成績が下降していきました。2002年は打率.242、本塁打17本と低迷し、2003年も不調が続きます。そして2004年には小久保裕紀が巨人に入団しましたので、三塁のポジションを失い、55試合の出場もスタメンは15試合だけと完全にベンチウォーマーとなってしまいます。

そして2005年も81試合に出場で、打率.172、本塁打0、打点4と不振をきわめた結果、巨人では4番に座ることもなく、そのオフにFA移籍してきた豊田清の人的補償として西武へ移籍することとなります。

奇しくも、同じ1999年オフに巨人への移籍を決め、2000年の日本一に貢献した工藤と江藤がともに、FA選手の人的補償として他球団へ移籍する結果となりました。

広島時代にはOPSが0.927でまさに強打者と言える数字で、レギュラー定着した93年から99年の7年間で216本と年平均30本塁打です。しかし、巨人時代では、OPSが0.802で6年間で101本の本塁打数にとどまっています。

巨人に移籍した翌年の日本一に貢献した際には、巨人ファンとして有名なアナウンサーが、テレビで「江藤選手移籍してくれてありがとう」と叫ぶなど、大きな称賛を受けました。しかし、巨人を去る時は、FAの人的補償というシビアな移籍をすることとなりました。

巨人へのFA移籍はやはりハイリスク・ハイリターン?

この江藤と工藤の人的補償による移籍で、少なからず世間の批判を巨人も浴びました。そのことからの反省もあるのか、2013シーズンオフの小笠原道大の出処進退には、巨人もかなり気をつかっていることが見受けられました。

巨人で活躍すれば、1年で1億円以上の年俸アップも可能で、他球団では何年もかかるような金額の年俸に>1年で到達することも可能です。

その分、その選手の残す成績にはシビアで、特にFA選手の場合はその傾向が顕著ではあります。

大型の複数年契約があっても、結果が残せなければ、シーズンのほとんどを二軍で過ごすこともあるのが巨人の厳しさです。

松井秀喜が「巨人とヤンキースには似た厳しさがあって、それが好きなんです。」とあるインタビューで述べていましたが、巨人で活躍し続けるには、>松井秀喜のような精神的なタフさが必要なのだと思います。

巨人の生え抜きの選手は、プロ入り後、その厳しさの中で育ちますので、レギュラーになるような選手は、精神的にタフになっているのだと思います。

巨人に居続けるには、人が納得する成績を残し続けなければなりません。

そのためには、技術もそうですが、メンタル面でのタフさがないと、巨人にFAで移籍した後に、活躍し続けるのは難しいと言えるのではないでしょうか。

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