FAで巨人に移籍した15人の選手たち(第4回) 広澤克実編

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ヤクルト黄金期の主砲も巨人ではベンチウォーマーに

FAで巨人に移籍した15人の選手の移籍前の成績と移籍後の成績の比較、ならびにその後の動向などについて書いているシリーズの第4回です。

第4回目は1994年に、ヤクルトからFA宣言して、川口和久とともに巨人に入団した広澤克実(克己)です。

野村克也監督率いるヤクルト黄金時代のの主砲として、池山隆寛と人気を集め、>イケトラコンビとして活躍していた広澤克実です。

巨人は、このあたりから「4番コレクション」とも揶揄された、各球団の4番打者を集めた打線を、巨人は作っていきました。

広沢移籍後に続々と他球団の4番が巨人に入団する

広澤克実の年度別と球団別打撃成績は以下のとおりとなっています。

広澤克実-生涯年度別成績

巨人に移籍したのは94年オフで、巨人でのプレーは95年から99年の5年間です。ちなみに、この94年オフにはヤクルトの主砲を務めていたジャック・ハウエルも巨人は獲得しています。

広沢は一塁がヤクルト時代のポジションでしたが、移籍した1年目と2年目は一塁に落合博満がいて、3年目以降はFAで清原和博が移籍してきます。さらには同じポジションで重なる近鉄の石井浩郎まで96年オフに巨人にトレードでやってきています。

そのため巨人移籍後は、決して足は早くなかったのですが、外野を守ることが多くなりました。結局、巨人在籍時代には、97年の22本塁打と95年の72打点が最高で、ヤクルト時代のような輝きは失ってしまいました。そして1999年オフには巨人を自由契約となり、阪神監督となった野村克也氏の元へ移籍し、そのまま阪神で現役生活を終えることとなりました。

広澤は、>通算の安打数は1736本で、巨人移籍前の時点で、>10年間で1301安打を積み上げていました。ですのでヤクルト時代には年平均130本の安打を打っていた計算となります。しかし、巨人移籍後の広澤は、ケガの影響もあり、5年間で296安打にとどまり、満足な成績といえるのは97年のシーズンだけという寂しいものとなってしまいました。

そのままヤクルトに残っていれば、一塁で出場し続け、不慣れな外野を守ることもなかったでしょう。また年平均130安打を打っていましたし、広澤を大切にしていた野村克也監督も1998年まで指揮をとっていましたので、広澤は、ヤクルトに残っていれば、2000本安打に到達できていた可能性が高いです。

阪神に移籍した後の2年目の39歳の時には、95試合で規定打席に到達していないものの、打率.284で12本塁打を記録しています。また、引退した年も代打中心の出場で3割を超える打率を残していますので、ヤクルトに残っていたらと思わせる広澤克実です。

巨人にFAすることで一時的に年俸は上がりますが、結果を残せなくなった時の末路は惨めです。ヤクルトであれば、多少不振に陥っても、>替えの効かない選手として、我慢して使ってもらえますが、巨人ではそうはいきません。ある程度の段階で結果が残らなければ、スタメンから外され、他から選手を獲得されてしまいます。

当時の巨人は長嶋監督で、ナイター中継が毎回視聴率が30%を超えるような華やかさがありましたので、巨人という球団が、選手にとってかなり魅力的であったことは間違いありません。

ただ、移籍する選手は、自分自身にとって適材適所となる移籍なのかに加えて、本当の意味でそのチームの補強になっているのかも見極める必要がありそうです。生え抜きでチームの中心選手であれば、球団は待ってくれますが、特に巨人に移籍したFA選手は限りなく外国人選手に近い扱いとなってしまうことは否定できませんので。

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