FAで巨人に移籍した15人の選手たち(第3回) 川口和久編

スポンサーリンク

落合博満氏に続く巨人へのFA移籍は広島のエースで巨人キラーの川口和久

FAで巨人に移籍した15人の選手の移籍前の成績と移籍後の成績の比較、ならびにその後の動向などについて書いているシリーズの第3回です。

前回の落合博満編に続いて、第3回目は広島からFAで移籍した川口和久氏(以下敬称略)です。

現在は、巨人の投手コーチとしてすっかり収まっている川口和久氏すが、>広島のエースとして巨人戦に強い投手というイメージが一番強く残る投手でした。

その川口和久が巨人へFAで移籍をしたのが1994年のシーズンオフでした。

左の先発投手への期待と他球団の戦力ダウンが狙いのFA獲得だった

FAを取得したことに加え、家庭の事情があり、広島を離れることを決断した川口氏ですが、川口氏も長嶋茂雄氏に請われる形で、巨人へ移籍することとなります。

落合博満氏に続く巨人へのFA移籍2人目となりました。

川口和久生涯年度別成績

当時の巨人は左の先発投手が宮本和知だけで、しかもローテ投手としては心もとない成績しか残せていませんでしたので、川口和久は先発投手として期待されての移籍でした。

しかし、広島での最後の3年間の成績は二桁勝てない上に、負け越し、それに加え、移籍時には35歳となっていました。それでも先発ローテとして期待された理由の一つは、広島での最後の年は7勝10敗ながらも、7連敗した後に、夏場以降に7勝3敗と復活を印象づける活躍があったためです。

ですが、左の先発ローテ投手という以上に、巨人にとって川口和久を獲得する別の大きなメリットがありました。

川口和久は、巨人が苦手とする代表的な左投手で、>巨人キラーとして名を馳せていました。

川口和久が広島で活躍していた当時、私は巨人ファンでしたが、テレビ中継をつけた時に、川口が先発しているとわかると、負けを覚悟していた記憶が残っています。

広島の最後の3年間で衰えが見え始めていた川口ですが、それでも>移籍前年には巨人戦で4勝していますし、>通算で33勝(31敗)するなどして、川口和久の巨人戦での投球は圧倒的でした。

そのため巨人としては、左の先発投手の確保という意味合いもあったでしょうが、最悪それがうまくいかなくても、苦手投手が1人いなくなること、そしてライバルチームの戦力ダウンにつながるという計算があったことも間違いありません。

生え抜きとして尊重されて現役を終えるのか?それとも・・・

結果として、川口和久は巨人移籍1年目こそ先発投手としての登板でしたが、2年目にはシーズン序盤で結果を残せず、2軍に落とされ、そこでリリーフへ転向することとなります。

そしてそのリリーフ転向の1996年こそ、ある程度の成績は残せたものの、1997年以降は故障もあり、かつてのような投球はできず、1998年のオフで引退することとなりました。

左の2枚看板として広島で活躍した大野豊は、川口和久の4歳年上ですが、引退は同じ1998年オフとなっています。

その大野豊は、リリーフとして>2年連続で最多セーブのタイトルを獲得するなどクローザーとしても実績を残し、その後再度先発に戻り、引退前年の42歳となった1997年のシーズンには9勝6敗ながらも防御率2.85で>最優秀防御率のタイトルまで獲っています。

大野豊もリリーフ転向直前には、35歳となって成績を落としていたので、その当時もう引退間近かと思われましたが、配置転換で復活を遂げました。そして年齢も40歳に差し掛かると、再度先発に戻してもらうという配慮までしてもらっています。

チームに残ってチームの生え抜きの功労者として尊重されて現役を終えるのか、それとも年俸と知名度は上がるものの、ダメなら居場所がなくなる厳しい競争の巨人へ身を移すのか。

もし川口和久も広島に残っていれば、北別府学や大野豊のようにチームの功労者として手厚く待遇されながら、もっと勝ち星を伸ばすこともできたかもしれません。

選手として試合に出れないのはやはり苦痛であることは間違いありません。それを覚悟して巨人へ移籍を決意しておかないと、再度、出場機会を求めてFAで巨人を出るということになってしまうようです。

スポンサーリンク

フォローする

よく読まれています