FAで巨人に移籍した15人の選手たち(第2回) 落合博満編

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最初に巨人にFA移籍したのは落合博満氏

FAで巨人に移籍した15人の選手の移籍前の成績と移籍後の成績の比較、ならびにその後の動向などについてシリーズで書いていきます。

その第2回は>「落合博満編」です。

型破りとも言える神主打法で、史上最多の3度の三冠王に輝くなど卓越した野球理論と技術で、一時代を築いた落合博満です。

ロッテ時代に、3度目の三冠王を獲得したシーズンオフにトレードという衝撃の移籍で、中日ドラゴンズでプレーすることになります。

そして中日で34歳から40歳までの7年間プレーしたのち、FA制度が導入された1993年シーズンオフに、FAで巨人へ移籍します。

巨人移籍時にはすでに峠を超えていた落合博満

落合博満の年度別と所属球団別の打撃成績は以下のとおりとなっています。4球団を渡り歩いているのと、現役生活が20年と知長期に渡るため、表もかなり大きめです。

落合博満生涯年度別成績

中日時代の最後の1年は40歳で、打率.285・本塁打17本・打点65と、レギュラーとして出場するようになった1983年以降で最低の成績に終わります。

そんな状況でしたが、監督復帰1年目を3位で終えた長嶋茂雄氏に請われるような形で巨人に入団します。

1年目の落合は、打率.280・本塁打15本・打点68と、打点以外では前年を下回る成績に終わりますが、チームの4番として存在感を発揮し、チームの日本一に貢献します。

そして、移籍2年目には打率でリーグ4位となる.311を記録します。ですが本塁打は17本に打点は65と長打力に陰りを隠せず、主砲としては物足りない成績に終わります。

そして巨人在籍最終年となった3年目ですが、8月末の時点で、打率が3割を超え、21本の本塁打を放ち、打点も85という好成績を残していましたが、死球を左手首に受けて骨折し、結局、その年の日本シリーズまで復帰することはありませんでした。

最終年は43歳ながら好成績をおさめていたのですが、この年のシーズンオフに巨人を去ることになりました。その原因が西武から清原和博がFAとなり、巨人に入団することが決まったためです。

その結果、同じファーストのポジションであった落合博満は、他球団移籍を希望し自由契約を申し出ることになりました。

清原の入団に加え、その年(1996年)には、松井秀喜が打率.314・本塁打38本・打点99と好成績を残し、主砲としてのめどが立ったこともあったのでしょう、巨人は落合の意向通りに自由契約とする結果となりました。

3年間でリーグ優勝2回、日本一1回に貢献した4番打者も押し出されてしまう厳しさが

落合氏の場合は、すでに年齢的に峠を超えていたのと、それ以前の成績が素晴らしすぎたので、巨人移籍後の成績が低下しているのは仕方がない面があります。

ですが、長く4番を務めてきた原辰徳の成績の低迷、そして松井秀喜が一本立ちするまでの間に、巨人の4番をつとめ、>1994年と1996年の2度のリーグ優勝>1996年の日本一に貢献した落合氏でしたが、新しいFA選手に押し出される形で、巨人を去ることになりました。

このあたりが巨人に移籍するFA選手が直面する厳しさとなりそうです。生え抜きの4番であれば、もう少し配慮された可能性がありますが、FA移籍の選手ではそこまでの対応は期待できなさそうです。

巨人にFAで移籍する選手は、ある面、外国人選手が直面するようなシビアさをどこかで味わうことを覚悟する必要がありそうです。

結果を残せば、大きく年俸も上がるし、知名度もあがります。しかし、成績が下がったり、他でもっと良い選手が見つかれば、放出されてしまう。

そうなる厳しさがあることも覚悟して、巨人へ移籍することが必要ではないかと思います。

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